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作成日:2006/09/29
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河童ばやし&カッパ・ブギ
〜宮城県色麻町訪問記〜
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広報うしく市民特派員 飯塚 寿子
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北に向かって、いざ出発!
交流のきっかけは?
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8月6日、牛久の『河童たち』は午前6時に牛久市役所を出発しました。宮城県色麻町の「かっぱのふるさと祭り」に参加するためです。
そもそも色麻町との親善友好都市調印のきっかけは20年前(昭和61年)、磯良神社の河童のご身体をキャラクター化し、シンボルマスコットとして町おこし作戦を展開していた色麻町が、同じ「河童」にゆかりがあり、東京のベッドタウンとして発展著しい牛久市を視察に訪れたことに始まりました。その後「河童が取り持つ縁」で交流が始まり、特に2年後の昭和63年には、西川流扇若衛師匠が「カッパ・ブギ色麻」の振り付けを依頼されるなどで交流はますます盛んになり、同年7月それぞれの地域振興に役立てようと、親善友好都市として絆が結ばれたのです。
午前11時、色麻町に着きました。町営のステーキハウスの前には噴水に戯れる河童のブロンズ像が大小6体、「河童で町おこし」色麻町に来た! という感じがしました。
さぁ! オープニングセレモニー
会場は役場前の広場で、イベントトラックの舞台に牛久市・色麻町の関係者が登壇。それぞれのあいさつが終わり、お祭りプログラムが始まりました。多数の催し物が用意されていましたが、とりわけ興味を持ったのは太鼓です。今回は3組でしたが人口7千800人の町に11組があり、中にはセミプロの組もあると、出演した四竃櫻商太鼓の若者が話してくれました。太鼓の力強い響きは真夏の空を突き抜け、祭りを一層盛り上げていました。
午後3時半、「ふるさと牛肉祭り」では、ワインをかけた地場産和牛の丸焼きが、参加者に振る舞われました。市長、議長もワインかけに参加しましたが、牛久のワインかどうかは残念ながら定かではありません。
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こんがり焼かれた牛の丸焼きにワインかけ
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カッパ・ブギの練習
そして本番のパレードへ
扇若衛師匠の特訓とお弟子さんたちのアシストで全員そろうようになり、法被姿でいざパレード会場へ。茨城県牛久市のプラカード、温かい拍手に迎えられ、午後6時、踊りパレードがスタートしました。3回目の踊りのとき、なんと色麻町の中高生が牛久の連に入り、一緒に踊ってくれたのです。驚きとうれしさで感動ものでした。遠くから来たので歓迎の意味もあったのでしょうか。子どもたちはとても素直で優しそうでした。そして、太鼓もそうですが、町中の子どもたちがこの会場で楽しんでいるように感じられました。
時間の都合で牛久の連は踊りながら列を離れましたが、高校生の「また来てください」の言葉はとても印象に残りました。
交流の最後は「河童ばやし」
「かっぱのゆ」で汗を流し、宿泊先の農業伝習館では、バイキングスタイルのごちそうと「ずんだもち」をはじめ漬物や焼きおにぎりなどが用意され、心尽くしのもてなしを受けました。余興が終わり、締めに「河童ばやし」を全員で踊り、来年の「うしくかっぱ祭り」での再会を約束しました。
夜になると、この農業伝習館のエントランスホールに明かりがともり、「月夜のカッパ」の名称どおり河童が立っているように見えます。かっぱ・カッパ・河童づくしの色麻町。翌朝「かっぱまんじゅう」をお土産に買い、仙台七夕祭りを見物して牛久に戻りました。
わが牛久市においても「河童」の話題を一つ。シャトー通りの小河童が子犬を連れて「あやめ園」へ転居しました。沼が近いのでうれしそうです。
※牛久市は1年おきに「かっぱのふるさとまつりに」参加。
色麻町からは毎年「うしくかっぱ祭り」に参加していただいています。
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色麻町の中高生と一緒に踊ったカッパ・ブギ
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