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作成日:2006/03/31


歴史 読み物 昔の牛久

 住井すゑとその文学の里(二)  牛久沼のほとり

牛久市文化財保護審議委員   栗原 功

住井と明治天皇   天皇の起源と歴史

 住井は6歳になった明治41年(1908年)に平野村立尋常小学校(旧制義務教育)に入学した。この年、耳成山山頂(現橿原市)で陸軍秋季特別大演習が行われた。大元帥の明治天皇が統監のため行幸、耳成山中に行在所が設営された。前川む一編・解放出版社刊「住井すゑの世界」の原文によれば、住井は耳成山行在所での明治天皇の話を聞き、また被差別部落の有様を見て、「天皇も普通の人間だ。人間以上の天皇=神と、人間以下の部落と、こんな差別を許しておいてなるものか」と子供心に思い決めたという。
 そこで次に天皇の概要を記してみた。天孫降臨神話(古事記、日本書紀、水戸学など)によれば、天皇家の先祖は伊勢神宮に鎮座する天照大神(女神)で、初代の神武天皇はその子孫だ。天孫降臨神話と古代朝鮮半島の新羅建国神話の天降卵生神話は類似している。その所以は古事記や日本書紀が完成する約50年前(西暦663年)に百済が唐・新羅連合軍に滅ぼされ、百済王一族や史官が日本に亡命して、彼らが古事記や日本書紀編さんに直接関与したからだった。天皇は飛鳥浄御原律令(第40代天武天皇〈在位673〜686年〉が制定した)の中に「現御神大八嶋国所知天皇」と定められてから「天皇」、「現御神」、あるいは「現人神」などとも呼ばれるようになった。
 ところで日本は神の意志を承け、歴代の天皇が政を行ってきた祭政一致の国であった。が、実質的な政務は大臣、大連両職や摂政、関白両職に委ねられた。第40代天武天皇や同45代聖武天皇のように自ら大権を行使した天皇もいたが、第79代六条天皇以降の歴代天皇は、平、源、足利、織田、豊臣、徳川の各武家を代官頭職(太政大臣や征夷大将軍)に任命し、土地と人民を預けて統治をさせ、多くの歴代天皇は、禁闕(皇居)の奥深くにおいて神ごとの日々を送っていたのだ。戦国時代の永禄7年(1564年)に外国人が本国へ送った報告書の文面に「彼(第106代正親町天皇を指す)は少しも兵力を有せず、日本の頭として殆ど神の如く諸人に尊崇せらる」とあった。徳川将軍家も初代家康以来代々、尊王(権威者たる天皇の地位を守ること)精神厚く、家康の孫光圀(水戸藩第2代藩主)は尊王敬幕の考え方を明確にしていた。
 徳川第15代将軍慶喜は慶応3年(1867年)10月に第122代明治天皇へ征夷大将軍職の辞表を提出し、大政奉還(政権返上)と、幕府領(天領)納地を行った。同年12月に明治天皇は自ら親政(政治)のための政府首脳人事(総裁以下三職)を発令した。その明治天皇は明治22年(1889年)公布の大日本帝国憲法に「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ(第40代天武天皇が律令に自ら天皇を神と定めたが、天皇=神の思想が復古した)」、「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス(国体〈水戸学の万世一系の天皇が支配するものとする考え〉)」と定められた。また「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」とも定められ、明治天皇は大元帥として陸海両軍の統帥権(軍を指揮・運用する最高権能)を有することになった(古代の防人と同じ天皇直属軍隊)。さらに明治天皇は翌23年に「教育勅語(水戸学の学者栗田寛も草案作成に関与)」の渙発を行った。日本は幕末以来、ロシアや欧米列強の侵略戦(植民地化)に挙国一致して勝ち抜く国力に到達するため富国強兵を最大の国是にしてきた。(明治6年〈1873年〉に陸軍少将山田顕義が提出した建白書に「強兵ノ基ハ採銃運動スルニアラズ、国民一般都鄙ノ別ナク郷校ノ教育ヲ充分ニシ普ク人民ノ知識ヲシテ甲乙ナカラシムルニ在リ」)。一方、教育勅語は儒教の五倫・五常の徳目を基礎にした国民道徳の規範(手本)を説いていた。日清戦争の勝利の一因が、教育勅語の主柱忠君愛国教育(天皇に忠義を尽くし国家を愛す)の成果だとし、修身教科書に「日清戦争で戦死してもラッパを口から離さなかった木口小平陸軍二等兵が忠勇の主」として加えられた。修身は筆頭教科とされ、その修身教科書に盛られた主たる徳目をあげてみると、忠君愛国、皇室を尊べ、正直、礼儀、謙遜、家庭、父母、兄弟、人の名誉を重んぜよ、規律正しくあれ、工夫する少年、男のつとめ女のつとめ、友だちを大切にする、思いやりの心を持つ、力を合わせて、みんなのために、日本人として、美しく生きる、「孝行・精励精勤・学問(手本の人物は二宮尊徳)」などだ。さらに各学校には教育勅語謄本と御真影(天皇・皇后の写真)が配布され、礼拝・奉読が強制されて教育勅語の趣旨の徹底が図られた。日本は昭和20年(1945年)8月15日に戦争に敗れ、翌21年1月1日に昭和天皇が「人間宣言」を行った。その翌年の5月施行の日本国憲法で天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として定められた。

「目で見る橿原・高市の100年」
(株)郷土出版社刊より
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