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作成日:2006/03/31


「優秀賞」受賞おめでとう

平成17年度人権作文コンテスト土浦地区大会

 人権思想の普及と高揚を図るため法務省では毎年「中学生の人権作文コンテスト」を実施しています。平成17年度は土浦法務局管内で1459編の応募があり、内容も大変充実していました。
 審査の結果、特に優れた25編が選ばれ優秀賞に山本宏樹さんが、秀逸賞に道川里茄さん(南中3年)が選ばれました。おめでとう。紙面の都合上、二つが載せられず残念です。
 山本さんの作品は、太平洋戦争で悲惨な激戦地となった沖縄を旅して、山本さんの目でとらえた戦争の恐ろしさや悲しさが読み手によく伝わってきます。なかでも沖縄戦が激しくなると、アメリカ軍から逃れるため、島民は洞穴(壕)にもぐり込み、息を潜め、恐れおののき、赤ちゃんや子どもの泣き声がやまないと……銃殺、背筋の凍る思いがしました。
 また山本さんは広く国外にも目を向け、戦争の悲惨さを伝えています。そして最後に「平和の大切さ」とそれをどう実現すべきか、中学生らしい感性で訴えているところに深く感銘しました。
元牛久市人権擁護委員 茨城県子どもの人権専門委員 所  幸

戦争と平和         牛久南中学校 1年 山本 宏樹

 ぼくは今年の夏に沖縄旅行に行きました。その旅行で印象に残っているのが「沖縄県平和祈念資料館」というところです。そこには沖縄でおきた戦争の記録と、戦争中アメリカ軍が落とした不発弾がそのままの形で残っていました。その記録の中には、当時の映像や戦争中、日本人が隠れていた壕という洞穴などがありました。そしてその中に証言者の話というものがありました。それは、戦争を体験し、奇跡的に助かった人々の証言が書かれていました。それには、あまりにも悲惨なことしか書かれていませんでした。
 昔、日本の沖縄には自然に出来た洞穴(壕)が沢山ありました。人々は戦争の最中、その洞穴で身を寄せ合いながらくらしていました。アメリカ軍から逃げるためです。アメリカ軍は、命令を聞く住民には一切手を出さない軍でした。しかし、住民は日本兵から「アメリヵ軍につかまれば命はないぞ!」と言われ続けていました。そのせいで日本人はアメリカ人を信用しなくなり、せまい洞穴にたてこもっていました。
 ある日、ある洞穴で一人の赤ちゃんともう一人の小さい子供が急に泣き始めました。日本兵がアメリカ軍に見つかってしまうから泣きやめさせろと親に命令しました。親は懸命に泣きやめさせようとしましたが泣きやまなかったので、その二人の子供はその日本兵に射殺されてしまいました。このように壕の中でさわいだりした人はみんな日本兵に殺されてしまうのでした。
 数日後、アメリカ軍は沖縄の壕のある場所を周り始めました。そして壕の中に英語で「出てこい!素直に出てきたら命だけは助けてやる!」と叫び続けました。ここで日本人の生死の分かれ道となりました。素直に壕から出てきた人達は、アメリカ軍の船に連れていかれます。そこで日本人はアメリカ軍の手伝いをしなくてはなりません。しかしその代わり、きちんとした食事を与えてもらえました。逆に素直に壕から出てこなかった日本人は、その壕の中に爆弾を投げ込まれたり、火炎放射器で焼き殺されてしまいました。
 こうして戦力をあげたアメリカ軍は、西海岸(今の那覇空港あたり)から南の方をたった一週間で占領してしまいました。この時の死者は日本兵・住民を合わせて数万人を超えていました。結果的に三カ月で二十数万人の死者、このうち十数万人は一般島民でした。
 「ひめゆりの塔」の壕も見学しました。この中に負傷者やひめゆり学徒隊、従軍看護婦になった女の人達が隠れていたのかと思うと、ぼくは六十年前にタイムスリップした気持ちになり胸が苦しくなりました。
 旅行から帰ってきてからすぐに、テレビで長崎・広島の原爆の様子を見ました。核兵器の恐ろしさを痛感しました。特に原爆を受けて背中に大火傷を負った少年の写真はとても衝撃的でした。奇跡的に助かったこの少年は七十六才の今も体の傷、それ以上に負った心の傷と闘っています。また、NHKのテレビで「アウシュビッツ収容所」の特集を放映していました。ここでも沢山の罪の無い人々が虐殺され、尊い命が奪われました。ヒトラーという独裁者が率いるナチスドイツ軍がユダヤ人をガスで虐殺したのです。たった一人の狂った考えの人のために何十万人の人の命が奪われてしまいました。ぼくは、怒りと共に悲しくもなりました。
 今年は太平洋戦争終戦六十年です。今も世界のどこかで戦争は起こっています。いまだに、あの恐ろしい核兵器はなくなりません。
 ぼくはどんな理由があっても、人間が人間の命を奪う事は決していけない事だと思います。殺した人も殺された人も悲惨です。また、どんな人にも、生まれてきたからには必ずその人でなければ出来ない事があると思うからです。
 そのような悲惨なことをもうしないようにするには、お互いの良い所を認め合ったり、自国の秘密を他国の国々に知ってもらって、どの国とでも仲良くしていく事が大切だと思います。今でも日本は北朝鮮との拉致問題や中国や韓国とのさまざまな国際問題が残っています。
 ぼくは、今回の旅行で戦争での悲惨さを学ぶことができて本当に良かったと思っています。言い変えれば、「平和」の大切さ、国と国とのつながり、その中でも人と人とのつながりの大切さ、命の大切さを学ぶことができました。将来、戦争やテロのない平和な世の中になったらいいなと思います。また、ぼくたちが平和な世界を作っていく責任があるのだと思いました。

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