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茨城県初代知事 山岡鉄舟と牛久宿(2) |
牛久市文化財保護審議委員 栗原 功 |
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勝海舟・高橋泥舟と並んで幕末の三舟と呼ばれた鉄舟 |
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山岡鉄舟は天保7年(1836年)に旗本六百石取で御蔵奉行を勤める小野高福の五男として、本所大川端四軒屋敷(現墨田区)の役宅で生まれた(旗本とは将軍直属の一万石以下、御目見《将軍に謁見できる二百石以上》以上の格の家臣を指す)。小野家の始祖は第30代敏達天皇より出ていて、先祖には遣隋使の小野妹子がいた。母親の磯は鹿島神社(現茨城県鹿嶋市)の社人塚原家の生まれで、その先祖には有名な武芸者塚原卜伝(足利第15代将軍義昭に「一の太刀」の極意を伝授した)がいた。
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山岡家家紋 丸に木瓜 |
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※ 「広報うしく7月1日号」に益満休之助の記述をしたが、このほど鉄舟が開創した臨済宗国泰寺派普門山全生庵(東京都台東区谷中)よりお寄せいただいた『鉄舟居士の真面目』によれば「鉄舟が益満休之助に道案内を頼んだ」ようだ。 |
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