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南北朝・室町・安土桃山前期の牛久領主岡見(尾上)家の興亡(3) |
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尾上(岡見)家創建の東林寺 |
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牛久市文化財保護審議委員 栗原 功 |
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創建者尾上(岡見)治胤 |
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女化原狐伝説に登場する栗林義長の位牌がまつられている |
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曹洞宗福寿山東林寺は新地町地内の寺院だ。東林寺は室町時代中期(嘉吉3年・1443年)に牛久城主の尾上(岡見家と同族)治胤が、舌状台地の一画に、大雄山最乗寺(現神奈川県南足柄市)より、天助高順和尚を迎えて開山した。ここには後に尾上(岡見)家によって東林寺城(新地城)が築かれた。
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東林寺中興開山は、牛久藩第5代藩主山口弘長 |
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慶長6年(1601年)に表高一万石余の牛久藩の初代藩主に譜代の山口重政が任ぜられた。が、重政は同18年(1613年)に改易(領地没収)された。嫡子重信と大久保忠隣(小田原主で秀忠付老中)の養女との婚姻が幕府の許可を得なかったという廉であった。重政重信親子は元和元年(1615年)の大阪夏の陣に出陣し、井伊直孝隊に属して戦い、重信が大阪方の武将木村重成(小川芋銭の先祖)と槍を合わせて重信は討死した。これらの功により、重政は寛永6年(1629年)に牛久藩主に復職し、政務所の陣屋(現かっぱの碑付近)を築いた。
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(写真) 東林寺を開基した尾上治胤の五輪塔(牛久市指定文化財) |
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