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「秀逸作」受賞おめでとう  平成14年度人権作文コンテスト土浦地区大会

 法務省と全国人権擁護委員連合会は、人権尊重思想の普及高揚を図るための啓発活動の一環として「全国中学生人権作文コンテスト」を実施しています。次代を担う中学生に人権問題についての作文を書いてもらうことで、人権尊重の重要性や必要性についての理解を深めると共に、豊かな人権感覚を身に付けてもらうことを目的としています。
 本年度は、土浦地区内の41校、1,389人から作品が寄せられました。その中から「秀逸作」に輝いた大橋正輝君(牛久三中)の「戦争について思うこと」と題した作品を紹介します。
 戦争を知らない世代の大橋さんが、戦争について考えたことや感じたことをこれだけ立派に文章にまとめられたことに、まず心を打たれました。文章の構成も素晴らしく、表現も無駄なく、みな生きていると思いました。特に大橋君のおじいさんが2人のお兄さんを戦争で亡くしたときの、そのお母さんの悲しみの様子や、おじいさんが戦場で戦わずに戦友を失っていった話、疎開先で見た恐ろしい東京大空襲のおばあさんの話などが、ごく自然体で書かれていますが、戦争の悲惨さが深く、悲しく伝わってきました。また、大橋君は広く世界に目を開き、忘れることのできないアメリカのテロ事件やアフガニスタンの悲惨な報道に、まだまだ消えることのない戦争の影。「平和を求めるためにはどうしたらよいのか」。中学生の純粋な感覚としてとらえているのが立派だと思いました。

 この「人権メッセージ」をより多くの方々に読んでいただき、人権尊重の輪が大きく広がっていくことを願っています。

牛久市人権擁護委員
茨城県子どもの人権専門委員  所 幸

秀逸作『戦争について思うこと』   牛久第三中学校 3年 大橋 正輝 君

 八月になると、あらゆるマスメディアで太平洋戦争の時の情報に触れる機会が多くなる。しかし、今まで自分と無関係だった戦争というものが、昨年の9・11の事件で急に自分にそう遠くにある物と思えなくなり、恐怖を感じた。戦争という人間の歴史の中で繰り返されるこの悲劇を、私達はこの世から消すことはできないのだろうか。
 僕の母方の祖父の兄二人は軍人で戦死している。近所の人々や町長さんに「お国のため」とか「名誉の戦死」などとたたえられたそうだ。祖父の母が、台所の隅で声を殺して泣いていたのを、祖父は忘れられないと言う。
 この夏家族で帰省した際、父方の祖父と枕元で戦争の記録テレビを見ながら戦争の時の話を聞いた。祖父は南方ジャワまで進軍していたそうだ。食料がなく戦うことよりも、栄養失調や伝染病で多くの戦友を失ったそうだ。今その祖父は寝たきりで家族の介護を受けているが、その頃の話をする時の祖父は悲しい顔をしていた。
 そして「うしろの正面だあれ」というアニメをテレビで祖母と見る機会があった。東京大空襲で家族を失った女の子の話であったが、祖母はその子と同じ深川の生まれでたまたま茨城の親戚にきていたので助かったという話を聞いた。祖母は東京の空がその時、真っ赤だったことや祖母の父が上京すると、アニメのように東京が焼け野原だったことを話してくれた。大切にしていた雛人形も近所の友達も、もう二度とみることはなかった。
 戦争は物だけでなくかけがえのない人の思いや尊い命を容赦なく奪っていく。
 テレビでアメリカの青年が「やらなきゃならない戦争がある」と叫んでいた。9・11のことをある側面からみればそういう気持ちも理解できるけれど、本当にやらなければならない戦争なんてあるのだろうか。
 アフガニスタンのことも連日報道されているが、戦争は悲しい結果しか残さない。
 アフガニスタンの子供の一人がはじめは敵を憎んで仕返ししたいと思っていたけれど、今は戦争によって障害者となった人を助けたいと言っていた。そういう勇気や知恵を育てる教育は、とても大切だと思う。
 今「戦争の風化」が心配されている。僕や父や母をふくめ戦争を知らない世代が増え、戦争を語る世代が減ってきている。僕は祖父や祖母から戦争というものを聞くことはできるけれど、どんなに想像力を働かせても本当のことはよくわからないだろう。戦争と平和という相反する二つは、ほんの背中あわせのことだ。僕達が戦争の悲しみを忘れ、怒りの心に満たされた時に、また繰り返されることのないよう強く平和を望み、自分と共に他を愛する心を持たなければならないと思う。
 今回、たまたま身近な人に話を聞く機会があって、僕自身も戦争と平和についていろいろ考える事の多い夏であった。


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