伝えたい 残したい20世紀のうしく


正月版 郷土に伝わる正月行事

 牛久市は、首都圏としての機能を充実させながら大きく発展してきました。それはとても喜ばしいことですが、また一方で、長い間伝え培われてきた伝統や、その基盤となっている生活に変化が起こっていることも見逃すことはできません。
 そこで今回は、牛久に伝わる正月行事をいくつかご紹介します。

若水くみ

 若水とは、1月1日にその年初めて井戸からくまれる水のことをいいます。若水は、正月三が日の間、お茶をたてたり、料理などに使われます。
 上町や下町地区では、さらにいろりの灰に振り掛けて、その灰をきれいにならしてから、新しい火をたくことになっています。下根地区では、水を神様に供え、お茶を沸かして仏様にも供えます。小坂地区では、くんできた水に大根、ニンジンをおろしたものを混ぜ、酢としょうゆで味付けし、それを氏神様(※1)、仏様、オカマ様(※2)、玄関口の門松に供えます。島田地区では、若水と正月用の注連縄を付けた俵に入ったお米でご飯を炊きますが、このお米のことをセツヅキマイといいます。柏田地区では、井戸にお米をまいてから、若水をくみ上げます。また、若水でご飯を炊き、それを神棚や門松にお供えするところもあるそうです。そして、台所掃きと言って、食べ物の余り物や残飯は、台所の隅に置いておき、四日以降に捨てます。それは「三が日は福を外に出さない」という意味から、このように行われるそうです。

イチクワ(一鍬)

 農耕は、正月三日に行われるイチクワという行事に始まります。この行事の前には、農具に触れてもいけないし、田畑に入ってもいけないとされています。以前は4日の鏡開きの日に行われており、不幸などがあったときのみ3日に行われるものであったという説もあります。現在では、3日に行うのが普通になっています。この行事は、その家の主人によって行われます。松の枝を3本用意し、それに直径三○〜四○センチメートルの輪にした注連縄にカキダレ(※3)を付けたものをそれぞれの松の枝に付けます。そして、田畑の両方で土を3回、クワでさくった後、先の3本の松と注連縄を置き、米をまきます。家に帰ってくると土間に箕を置き、ろうそくを立て、そこに外でまいてきた米の残りを入れた1升枡と外で使ってきたクワを置きます。後日、その米でご飯を炊き、神仏に供えます。(写真) イチクワのときの箕とクワの置き方

ナラセモチ

 新年最初につくもちをワカモチ(若餅)といい、14日につきます。13日に家の主人がナラやクヌギ、クリの木の枝を切っておいて、それにワカモチを丸めて付けます。このようなもちを付けた木をナラセモチ、あるいはマユダマと呼んでいます。また、ウスオコシという呼び方をしているところや、ナリキと呼んでいるところもあります。
 ワカモチは、赤い色を付けたものと、そのままの白い色のものと二つあります。特に島田地区では、「一色もちはあげるものではない」といわれ、紅白のもちを付けます。また、ある地区では、飾りにもちのほかにミカンを付けるところもあります。
 このナラセモチは、米の豊作などを祈る行事といわれています。ナラセモチは「20日の風に当てるな」「20日の風に合わせるな」といわれ、19日には取り外し、お雑煮などにして食べます。(写真) 米の豊作を願うナラセモチ。下の写真は、神棚にお供えしたもの
(参考資料『牛久市史 民俗編』、『牛久市史民俗調査報告書』)
 このような正月行事は、井戸水が水道水に変わったりするなど、生活様式に変化が生じてきたことから、だんだんと行われなくなっています。
 そんな中、私たちはこれまで先祖から引き継いできた伝統行事の意味を、理解することが必要なのかもしれません。
(※1)氏神様…氏の祖先の霊を各家の屋敷地内に神として祭ったもの。
(※2)オカマ様…かまどの神。火の神とされ、台所に祭る。
(※3)カキダレ…注連縄や玉串、竹などに付ける和紙でできた飾りのようなもの。
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