祝 結成30周年 牛久市文化協会


記念式典と文化講演会 広報うしく市民特派員 飯塚 寿子

記念式典で功労者表彰

 昭和48年、まだ牛久町だったころ、文化活動に熱い思いを寄せた数団体が、文化協会を結成して活動を始め、昭和55年に文化振興協議会と改称しました。それ以来、地域の文化振興の中心的役割を担ってきましたが、振興の時代の役割を果たし、このたび結成当時の文化協会に改称。そして、平成15年11月23日、結成30周年の記念事業が市民センターで行われました。
 現在、76団体、約1300人の会員が活動しています。
 当日は、会場いっぱいの観客で、舞台には功労者や顕賞団体の代表の方々が、華やいだ雰囲気の中にもやや緊張の面持ちで、ひな壇形式に並べられた受賞者席に座って待っていました。やがて式典が始まり、功労表彰の受賞者を代表して、謝辞を述べる初代会長の大野正雄氏の感極まった様子は、結成当時のことが胸に込み上げてきたのではないかと思われました。(写真)表彰を受けた功労者の皆さん

文明は知識、文化は知恵 永六輔氏文化講演会

第2部の始まりです。
 突然、まだ時間でもないのに舞台に現れた刺し子絆纏姿の永さん。司会者も観客もあっけにとられている中、盆栽のモミジに触れながら雑談を始め、永さんらしい登場でした。定刻になり演壇の向こうで、びしっと決めた出だしの言葉は、「日本の文化は、外国人が世界に向けて認識させてくれる」と話し始めました。
 桂離宮の何げない苔むした寺が、共鳴と感嘆の言葉で語られていること。また、自分が着ている山形県の野良着絆纏の刺し子模様についての話から、みんながそれぞれの模様を持ち寄り、良いものがあれば教え合い、つなげていくのが伝承文化で、それは質素だけど豪華なものだということでした。
 今回、永さんは住井すゑさんの『橋のない川』の縁で牛久に来られたとのことでした。文化を語ると同時に、ラジオ番組でのパーソナリティーらしく、笑いの中にこれからの長寿社会を生き抜いていく知恵を授けているような語り掛けを感じました。
 〜もうひとりの文化人〜講演中『もずが枯れ木で』の作曲家、徳富繁さんの話題が出ました。牛久在住で亡くなられたが、奥様が事前に本(牛久市史)を届けてくれたこと、著作権協会で一緒のことなど…。実は、徳富さんの弟さんご夫妻が私(筆者)の隣の家に住み、奥様がよくみえています。講演会でのことを話しますと、「あの歌(『もずが枯れ木で』)は『橋のない川』や映画『ビルマの竪琴』の中でも歌われていた」とおっしゃっていました。
 物の文化、言葉の文化を改めて感じさせられた講演会でした。
 なお、30周年の集大成として、記念誌が発行されたことを申し添えます。
(写真)刺し子絆纏姿で話す永六輔さん

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